4/09/2011

3月11日を考える(窪田の目線から)

中村に続き、窪田も今回の大震災に関して感じたこと、考えさせられたことを述べさせていただきたいと思います。

東日本大震災の時、僕は大気海洋研究所の学生部屋でデスクワークをしているところでした。
最近地震が多発していたので、「いつものか…」と高をくくっていたら、次第に揺れが増し、本棚のものが全て床に落ちてくる程の揺れへと…そして避難後にワンセグを通して見た東北地方沿岸部の惨劇。

幸い研究所のメンバーにけが人は出ませんでしたが、つい先日行われた避難訓練の成果もむなしく、全体の統制も取られないまま各々の考えで外へと避難したのが現状です。
新しいキャンパスで分からないことが多いとはいえ、改めて防災対策の大切さを実感致しました。
高いところの棚の使い方、係の割り振りなどもそうです。
幸い実験室も、分析機器にも大きな被害が出ませんでしたが、何も起こらなかったのは本当に偶然だったと思います。
実際4階の質量分析機は一台漏水によってダメになったと聞きました。非常に高価な機械です。

この頃、頻繁に研究者がテレビに出演し、分かりやすく事態を説明していただけるのは非常に有難いのですが、各テレビ局で別々の研究者を招いて同じ話題を話す姿が目につきます。
「情報」というものは入手する手段が多いことに越したことはないですが、一度間違った「情報」が反乱してしまうと収集が着かなくなるし、多すぎて逆にどの情報が正しいのか判別しにくくなってしまうため(このような混乱した事態においては特に)、情報を発信する場というものは複数あっても仕方がない気もしています。
また結局事態の解釈にしても研究者それぞれの意見があり、一人の意見だけで事態の全容を明らかにするというのは非常に難しいし考えが偏ってしまい危険であるため、一人ではなくできるだけ多くの意見を取り入れて報道して欲しいとも思います。

僕らは少なからず「将来の気候変動予測」というある種の防災に関わる研究に携わっています。僕らの研究は扱う時間スケールが長く、普段の生活の中で(或いは個人の人生の中で)変化を実感するのは難しいかもしれません。
ただし実際に気候変動の地球全体に与える影響は甚大で、今後訪れるであろう気候変動と言う「未曾有の大災害」に対して常に警鐘を鳴らし続けることが必要だと思っています。
今回の地震にしても、津波にしても、被害の元凶は人類の自然に対する「無知さ」にあると僕は思います。
たかだか数十年の記録で自然変動を分かったつもりになった結果、’万全を期した’数mの堤防を建造し、結果1000年に一度訪れる10mを越す津波で多くの尊い命が奪われてしまいました。

またこれはあくまで僕個人の考えですが、研究は「成果を世に示して初めて研究として昇華する」とも思っています。自分自身の楽しみのため・学会のためだけに研究はやるものではない。それは個人の資産で趣味でやればいい。国民一人一人の税金で行っている研究だから、それをお返しする形で世に広く示さなければならない。そう思います。
誰の役にもたたない研究などありません。
それを正しい手段でもって世に伝え、当該分野の研究者に影響を与える、さらに進んだ研究を励起する、人々に興味・考える機会を与える等々、あらゆる発展性があると思います。

この機会に、改めて自然界における人類の位置づけ、自然との共生の仕方について見つめ直す風潮が生まれることを期待しています。
そして震災によって被害を受けた方々に改めて哀悼の意を表するとともに、被災地の一刻も早い復興を、原発事故の収束を、そして日本全国を挙げてのいっそうのサポートを期待致します。